【ネタバレ】劇屍オタクによる劇場版『屍者の帝国』毀誉褒貶大会
咲紫です! みんななんの映画好き? 私はね〜『ガタカ』!(屍じゃないんかい)
皆さんは劇場版『屍者の帝国』のことを覚えていますでしょうか。昨年10月に公開した、伊藤計劃+円城塔の小説(伊藤計劃がプロローグの部分のみ書いて亡くなってしまったので、その続きを円城塔が書き継いでいます)が原作のアニメ映画です。
原作の 雰囲気的には『シャーロック・ホームズ』とか『未来のイヴ』とか『カラマーゾフの兄弟』とかその他もろもろをオマージュしたスチームパンク+ゾンビ冒険小説、という感じなんですがまあ映画は……二次創作メタブロマンスでしたよね……(コラ!)
あらすじはこんなん↓
"死者蘇生技術"が発達し、屍者を労働力として活用している19世紀末。ロンドンの医学生ジョン・H・ワトソンは、親友フライデーとの生前の約束どおり、自らの手で彼を違法に屍者化を試みる。
その行為は、諜報機関「ウォルシンガム機関」の知るところとなるが、ワトソンはその技術と魂の再生への野心を見込まれてある任務を命じられる。それは、100年前にヴィクター・フランケンシュタイン博士が遺し、まるで生者のように意思を持ち言葉を話す最初の屍者ザ・ワンを生み出す究極の技術が記されているという「ヴィクターの手記」の捜索。
第一の手がかりは、アフガニスタン奥地。ロシア帝国軍の司祭にして天才的屍者技術者アレクセイ・カラマーゾフが突如新型の屍者とともにその地へ姿を消したという。
彼が既に「手記」を入手し、新型の屍者による王国を築いているのだとしたら…?フライデーと共に海を渡るワトソン。
しかしそれは、壮大な旅のはじまりにすぎなかった。イギリス、アフガニスタン、日本、アメリカ、そして最後に彼を待ちうける舞台は…?
魂の再生は可能なのか。死してなお、生き続ける技術とは。
「ヴィクターの手記」をめぐるグレートゲームが始まる!(映画版公式サイト「Introduction」より「Project Itoh」)
まあ要するにゾンビがいる19世紀ロンドンな世界観で生前「言葉を話す」ゾンビの実現可能性について研究してた友達の死体を違法にゾンビ化した主人公が政府に見逃してもらう代わりにスゴクツヨイゾンビのつくりかたが載ってる「ヴィクターの手記」なるものを見つけろって言われて世界中を回ってドンチャカする話です。
劇屍、TLの伊藤計劃オタクが観て屍者になってたことからもわかるようにまあ色々と言いたいこととか言うべきことはあるんですがそれを考慮しても私は劇場版屍者の帝国が大好きなので毀誉褒貶大会つってもそんなに……そんなには……
まあ思ったことをメモするだけなので解釈違いとか起こしても怒らないでくださいね。怖いので。あと書いてる奴は腐女子なので偏った意見があっても怒らないでください。怖いので。
まあ
こんなグッズが公式で出てるのに誰も怒ってないあたり多分大丈夫だと思うんですが(なにも大丈夫ではない)
あとこれは普通にネタバレレビューなので今のうちに未視聴者向けに情報まとめておきます。観てね!
劇場版『屍者の帝国』はこんな映画:
- クオリティの高い原作の二次創作
- 死人に縛られる男とメタとスチームパンクのどれかが好きなら見たほうがいい
- 割とワトソンを好きになるか否かにかかっている気もする
- 原作者二人についてはざっと情報を得てから観た方がよい
- 原作は読まなくても大丈夫(その場合映画のエピローグは見て見ぬふりをしてほしい)
観てね!
※以下、劇場版『屍者の帝国』および伊藤計劃『虐殺器官』『ハーモニー』ネタバレあり
まずこの監督インタビューをね、見てほしいんですけどね。
小説を映像として再現することはもちろん、円城さんが書かれるときにたどられた道、伊藤さんと円城さんの関係性を、『屍者の帝国』を映像化する際の最終的な到達点として、なんとか映像に落とし込めないものかと考えながら作業しました。
(『屍者の帝国 アートワークス』P92「監督・牧原亮太郎 インタビュー」より)
いや……いやいや……
観てない人にとっては何が何だか……って感じだと思いますが、「フライデーとワトソンの関係は伊藤計劃と円城塔の関係を重ねているんだよ」ってことですよ。現実の関係を……架空の物語に……
いや、まあそれだけなら「はーん故人の言葉を追い続ける生者ね なるほどですね」って感じなんだけどこれの問題点としては劇屍のワトソンくんはフライデーのことしか見えてないうえにめちゃくちゃエゴイズムにあふれた人間になってるということなんですよね……というか映画を観ていて「おまえそれは……ちょっと……」ってなる行動が多すぎる。
というわけで一覧表作ってみました!
- ワトソンの「おまえそれは……ちょっと……」な行動一覧
・フライデーの死体を本人に頼まれたとはいえ違法に屍者化するうえ、なぜ屍者にしたのか絶対に周りに言わない(しかもフライデーはめちゃくちゃメンテナンスが行き届いている)
・クラソートキンとカラマーゾフに(文字どおり)死ぬほど「ヴィクターの手記を廃棄してくれ」って頼まれたのに、フライデー蘇らせたさのあまり全然人の話を聞かない
・手記を破棄するために山澤さんとバーナビーさんが奮闘している真っ最中にフライデーに手記をインストールする/その状況でやるな
・その結果手記が奪われて世界がハーでモニーして虐殺な器官になる/だいたいワトソンが悪い
・暴走したフライデーに「ただ、君にもう一度会いたかった。聞かせてほしかった、君の言葉の続きを」「なぜ置いていった」「なぜ帰ってこない」とかヤンデレ丸出しのセリフを吐く
・その後立ち直って「ヨッシャ! 世界救うか〜!」ってなるが、立ち直った理由が明らかに「フライデーの魂が一瞬戻ったっぽい」から
・こんだけフライデーに執着してるのにハダリーさんともいい雰囲気になっていて腹立つ
・こんだけフライデーに執着してるのにエピローグではすっかりフライデーのことを忘れていて腹立つ
こんなもんですかね。
どや……正直ひくやろ……? これ私の妄想でもなんでもなく事実ですからね。これが俺らの主人公ジョン・H・ワトソンくんだ。屍者の帝国は最高。
劇場版屍者の帝国の終盤では世界がゾンビだらけになってハッチャメッチャになるんですが上に記したようにその理由のほとんどがワトソンにあるんですよね。世界がメチャクチャになったときに主人公チームの中での唯一の良心バーナビーさんがワトソンのことを叱ってくれるシーンがあるのですが、そこで言うセリフが、
「全部お前のせいだろうが!」
全くだ。
何より気になるのは、こんなヤンデレ丸出し友達好き好き大好き超愛してるキャラに重ねられる円城塔の立場は……ということ。
自分が書いた小説の劇場版観に行ったら自分と自分の友達のナマモノBLアニメを観せられたみたいなもんではと思うんですがどうでしょう(どうでしょうではない)伊藤計劃は死んでるけど円城塔は生きてるんだぞ。
ちなみに円城塔が劇場版に寄せたコメントは、
この映画版『屍者の帝国』における主人公たちの関係は、自分には思いつくこともできなかったものだ。盲点というよりも、そこに気づいてしまうと、それ以上の作業を継続できなくなる類いの急所に近い。
うんまあ……思いついてたらヤバいと思う……
あなたがそこにいてくれてよかった。
小説版を終えたときにそう思った。映画版を見終えて今はこう思う。
あなたたちがそこにいてくれてよかった。
円城がいいならもういいよそれで。個人的には〜劇場版スタッフは倫理ねえなと思いましたがメタとブロマンスが好きなので 好きでした(よかったね)
あっでもラストのワトソンがヴィクターの手記を自分に書き込むシーン、めっっっっちゃ伊藤計劃を感じたんですけどあんまりそういう意見聞かないんすよね……どうなの……どうなの……
例えば、『虐殺器官』のクラヴィスはラストで「罪を背負うために」虐殺の文法を行使します。
『ハーモニー』のトァンは人類の意識が消失する前にミァハを銃殺します。
これらに共通することは、人類全体よりも自分の欲していることを重視していることだと思っているんですよね。特にトァンさんとかは、自分の意識がなくなる前にやりたいことやっとこうみたいな感じがいいですよね。
色々解釈あると思いますが、個人的には『屍者の帝国』のワトソンも基本的にはこれと同じで、研究者精神が旺盛な人間なので「俺に手記書き込んだらどうなんのかな〜」みたいな感じでラストに至ったんじゃないかな〜と思っております。「この世のためにこの手記は自分で処理せんとアカン……」みたいなこと言っておきながら結局自分の知識欲のために手記使ってるところがめっちゃエゴでいいです。じゃないと別に自分に書き込む意味とかないですからね。普通に破壊すればいいじゃんという。
ワトソンについてだけめちゃくちゃ語ってしまった……いやでももう失われてしまったものを求めている必死さとか才能への執着と人間への執着の混同とかはよく伝わってきたし、多分劇場版スタッフが描きたかったのもその辺なんじゃないですかね。知らないけど。
あ、クラソートキンとカラマーゾフの関係は明らかにフライデーとワトソンの関係に重ねられてますよね。前者はお互いに死ぬことをわかりあっている関係で後者は死んだあとも相手の意識を自分に向けようとさせたり、死んだ相手を求めたりする関係なんですが。なんにせよ地獄だ。
ザ・ワンと花嫁とかもワトソンとフライデーなんすよね……すでに失われたものを求め続けているというアレ。劇屍、基本エゴイズムと愛の話なのでしんどいです。
原作からして罰ゲームみたいな旅なんで「見逃してやる代わりに手記取ってこいや」っつー設定変更はいいと思います。ワトソン謎のヤンデレ化は……まあ……ほら……そういうこともあるよ……
原作の映像化としては端折ってるところが多すぎるので×ですが、二次創作としてはいいと思います。原作者同士の関係性を持ち込んでるあたりとかね……
ただそうなるとエンドロール後のエピローグがいただけない。
急に出てくるホームズは〜確かに原作通りだし原作読んでる身としては嬉しいんですが〜今更原作通りにやられてもな〜!?という気持ちが拭えません。逆ハーモニー。
まああれは完全に原作ファン向けの描写なので、劇場版が好きな人はエピローグのシーンだけ意識を失えば大丈夫です。
エンドロール後、ハダリーさん以外のキャラクターの目の光が失われている(=屍者化している)んですが、これは原作にたどり着けなかったバッドエンドルートだよ〜ってことなんですかね。面白いです。ハーモニい。
そんな感じですかね。
私が劇屍のことが好きな理由は人間のエゴイズムとメタとBLと死人に囚われる人間と身体の冒涜がいっぱい出てくるからです(最悪すぎる)少しでも気になるなら観た方がいいと思います。複数回見る必要はない。私は5回観たけど。
以上! 以上です! みんなで虐殺器官の公開まで震えて待とうね! おやすみ!